むっちりみえっぱり第6回公演
『その男  浮く』

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「俺、演出家になろうと思うんだけど・・・」
かつて俳優であった蜷川幸雄は、妻 真山知子に言った。
養成所の俳優から自ら演出家となり、今日では「世界のニナガワ」と言われるまでになった蜷川幸雄。
その半生をむっちりみえっぱりの手法によって掘り下げる。

日時
2002年5月3日(金)〜6日(月)

場所
王子小劇場

出演
江川瑠衣、佐藤沙恵、樋口徳子、
古谷充子、山本由佳、吉田麻生
スタッフ
猪川哲一朗、池上薫、石山金光、江藤純、
小早川晋、中道智子、二本木克好、渕上愛亜、
本郷華里、前田雄輝、吉田麻子


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<第一幕>

第一場  NINAGAWA大塩
1983年アテネ郊外のリュカベットス劇場で「NINAGAWA大塩平八郎」を上演した蜷川幸雄は大絶賛をうける。しかしどこか素直に喜べず、胃痛に襲われる
NINAGAWA大塩
第二場  養成所時代
芸大の受験に失敗した蜷川幸雄は劇団青俳養成所で俳優の道をめざす。しかし、鳴かず飛ばずの13年間を過ごした末、1967年自分の志す演劇を作る為、養成所生活に終止符を打つ
 
第三場  現代人劇場旗揚げ
1967年演出家として新たなスタートを切った蜷川幸雄は石橋蓮司、蟹江恵三、緑魔子、真山知子、劇作家・清水邦夫らを集めて現代人劇場を旗揚げした。渋谷区櫻丘町に構えた劇団の稽古場に初めてやって来たこの日、皆の期待に不意に重圧を感じ始める
現代人劇場旗揚げ


<第二幕>

第一場  赤毛の劇団
蜷川幸雄と同じ青俳出身の赤毛は「泥棒猫」という劇団を主宰している。結成して10年たった1979年。この日も「若草物語」の稽古に打ち込んでいる
赤毛の劇団

赤毛の劇団

第二場  蜷川家の食卓
真山知子との間に二女をもうけ、幸せな家庭を築いていた蜷川幸雄は1974年劇団を解散し、活動の場を商業演劇へ移す
蜷川家の食卓
第三場  商業演劇――世界のニナガワへ
1984年森下にあるベニサンの稽古場で蜷川幸雄は平幹二朗やニナガワカンパニーの面々と「NINAGAWA大塩平八郎」の稽古をしている。その後、海外公演を次々と成功させ「世界のニナガワ」との評価を確立した
世界のニナガワへ

世界の蜷川へ

ニナガワ

蜷川


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